毒親育ちのしあわせあつめ

こころの鎖を解き放つブログ

「あたりまえ」という偏見

ブログというものに興味がなかった

 

読み始めたのは母が脳梗塞で倒れ

介護が本格化し始めたころ

もう7年も前のこと

 

脳梗塞の後遺症、自宅での介護

 

介護が終わったひと

今その時のひと

どこかに救いを求めていたとき

毒親」という文字に出会った

 

ある日、ひとつのカウンセラーのブログに辿りつく

タイトルは覚えていない

そこには、母親の葬儀で慟哭する

ひとりの女性の姿があった

 

その姿は、そう遠くない未来の

じぶんの姿に思えた

 

そうならないじぶんで在るために

必死にじぶんを取り戻し続けた5年間

 

しっかりと立ち

喪主として母の葬儀を執り行った

去年の夏

 

やり切って、力尽きた

 

もともと、ブログを書くなんてことは思っていなかった

ビジネス塾に入ったにもかかわらず

「発信はしない」

そう断言をしていたほど

もう書かない。とも思っていた

 

それでも、なお

書き続けている

 

感じたことをことばにすると

返ってくるのは

 

おかしな子

ヘンな子

 

イヤな子...

 

そして、いつの頃からか

 

「そつなく」「無難に」を身につけようとした

 

けれど、どうしてもそれが出来ない

であればと、ことばにすることをあきらめた

 

こんな

 

毒親育ちが語る、親との記憶

これを親への恨み言

なんて捉えるひともいるかもしれない

 

まあ、それはそれでかまわない

 

その中には

毒親育ちに対する「あたりまえ」という

偏見があるのかもしれなくて

わたしにとっては

ただ方程式を解くようなものだから

 

こんなふうに

じぶんが感じ続けている

「あたりまえ」というものに対しての違和感を

ことばにしても大丈夫

 

ようやく、そう思えるようになった

だから、書き続けているのだと思う

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