毒親育ちのしあわせあつめ

こころの鎖を解き放つブログ

ツバメの巣立ち

ガレージで毎年ツバメが子育てにくる

その巣立ちを見守るのがたのしい季節

 

今年は一組が巣立った翌日

新たに巣を作った

 

毎年、カラスに襲われる

孵らぬうちに巣を落とされたり

巣立ち間近に襲われたり

無事に巣立つことが出来ないことも多い

 

じぶんより何倍も大きなカラダを持つ

相手から全力でこどもを守る

それでも・・・

つい先ほどまで、エサを運ぶと

鳴いていた雛が居なくなる

それを哀しみにくれるでもなく

何かを悟ったかのうように

再び、巣を作り

卵を産み

雛が孵れば、巣立ちまでエサを運ぶ

 

遅れて孵った雛が巣立ち

いっしょに飛び立てるその時まで

 

本能といえば

ただそれだけ

 

時に、にんげんは愛情というものに縛られる

けれど、愛情なんて考える必要なくて

ただ懸命にその命をつなぐ

それを愛情と呼びたいだけなのかもしれない

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共感と同情

「同情」ということばに違和感を感じる

 

相手の気もちに寄り添うときのことば

一見やさしい

でも・・・

なんか気持ち悪い

 

共感には力がある

同情力とは言わない

あるのは心

 

同情するの中には

相手を憐れむ気持ちを含んでいる

 

かわいそう

 

そこはかとなく感じる

じぶんを上に置き

じぶんじゃないという安心感

 

 

かわいそうな人をつくりたい

そんな想いに巻き込まれるような

得体の知れない不気味さが

そこにあるからかもしれない

 

 

かわいそうな人はいない

 

だから、私の中には同情心はない

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他愛もない会話への違和感

ときどき、ひとの会話の中に

もやっとする瞬間がある

 

じぶんとだれか

だれかとだれか

 

他愛もない会話への違和感

 

 

うんうん

へえーーー

そうなんだ

なるほどねーーー

 

でも・・・

 

こうすればよかったのにーーー

じぶんだったらーーー

じぶんは・・・

じぶんは・・・

 

相手のきもちを聴くかのようでいて

いつの間にか

じぶんの話題にすり替える

 

どことなく感じる【マウント感】

 

もやっとするのは

そのことば要る?と感じる中に

本当は「じぶんのほうが・・・」という

想いが入っていたりするからかもしれない

 

じぶんのほうが優位で在るための

ことばを使った

相手を堕とす純度の高い嫌がらせ

 

だれも受け取らなければ

ただ、じぶんに還っていくだけ

 

堕ちる

 

ということが

なんとなく腑に落ちる

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「あたりまえ」という偏見

ブログというものに興味がなかった

 

読み始めたのは母が脳梗塞で倒れ

介護が本格化し始めたころ

もう7年も前のこと

 

脳梗塞の後遺症、自宅での介護

 

介護が終わったひと

今その時のひと

どこかに救いを求めていたとき

毒親」という文字に出会った

 

ある日、ひとつのカウンセラーのブログに辿りつく

タイトルは覚えていない

そこには、母親の葬儀で慟哭する

ひとりの女性の姿があった

 

その姿は、そう遠くない未来の

じぶんの姿に思えた

 

そうならないじぶんで在るために

必死にじぶんを取り戻し続けた5年間

 

しっかりと立ち

喪主として母の葬儀を執り行った

去年の夏

 

やり切って、力尽きた

 

もともと、ブログを書くなんてことは思っていなかった

ビジネス塾に入ったにもかかわらず

「発信はしない」

そう断言をしていたほど

もう書かない。とも思っていた

 

それでも、なお

書き続けている

 

感じたことをことばにすると

返ってくるのは

 

おかしな子

ヘンな子

 

イヤな子...

 

そして、いつの頃からか

 

「そつなく」「無難に」を身につけようとした

 

けれど、どうしてもそれが出来ない

であればと、ことばにすることをあきらめた

 

こんな

 

毒親育ちが語る、親との記憶

これを親への恨み言

なんて捉えるひともいるかもしれない

 

まあ、それはそれでかまわない

 

その中には

毒親育ちに対する「あたりまえ」という

偏見があるのかもしれなくて

わたしにとっては

ただ方程式を解くようなものだから

 

こんなふうに

じぶんが感じ続けている

「あたりまえ」というものに対しての違和感を

ことばにしても大丈夫

 

ようやく、そう思えるようになった

だから、書き続けているのだと思う

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だれかのふつうは、だれかのすごい

しっくりくるブログ名を模索

 

まるで、、、

ふつうのひとって???と

模索しているかのようだなと思う

 

ふつうがいい

ふつうでいい

 

普通の生き方・・・

 

どこにでもある

ありきたりな

変わったことのない

 

こんな普通を探し続けているじぶんがいる

 

友人が、ふと

すごいひとになりたかったと言ったことがある

すごいってどんな???の問いかけに

明確な返事はなかった

 

わたし自身が思う

すごいひとを思い浮かべてみる

 

どこに在っても

周りに流されず

じぶんはじぶんで在り続ける

 

けれど、もしかしたら

 

ふつうも

すごいも

ないのかもしれない

 

だれかのふつうは

だれかのすごい

 

きっと

 

ふつうだと思えばふつうであって

すごいと思えばすごいこと

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雑踏に紛れて思うこと

 

 

自粛が解除され、駅を歩くひとも増えてきた

朝の通勤時間

 

だれもが周りに関心を持たず

ただ目的の場所に向かうためだけに歩く

 

そんな雑踏に紛れ

見知らぬだれかの背中を眺めながら歩く

ふと、目の前にある光景が

スクリーンに映し出されているだけのように感じてくる

 

無機質な光景の中にある

それぞれの想い

 

ひとりひとりの

それぞれの世界

 

現実と幻想が重なり合い

入り混じったような

不思議な感覚

 

それは

 

家の中に居場所を感じられなかった子どもの頃

庭でひとり、空を眺め

 

ひとりのじぶん

そして別の場所には

同じ時を過ごしているだれかがいる

そんな当たり前のことが

なぜかとても不思議だったことを思い出す

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SNSの正義と誹謗中傷に思うこと

ひとというのは、じぶんが

どこのだれかわからない存在でいられるとき

ふだんは奥のほうに潜めている一面が顔を出す

 

以前働いていたコールセンターは、ほぼ個人の顧客

顔が見えない声だけのコミュニケーション

 

最初から文句を言いたいだけのひとが

それなりにいることに最初は困惑した

 

声が気に入らない

しゃべり方が気に入らない

 

難癖をつけられるなら理由なんてなんでもいい

 

今いる職場は、先方も一企業

 

そのようなクレームは一切ない

どこのだれ

なんてものを背負っているからかもしれない

 

SNSという匿名の世界

 

どこのだれかわからない

匿名の誹謗中傷で自ら絶った命があるという

 

その後

 

誹謗中傷を書き込んだひとを

おなじように匿名で裁くことばが並ぶ

 

すべての理由がそこにあるのかなんて

だれにも、きっとわからない

 

 

ただ、ひとつ

はっきりとしているのは

 

傍らにいるその猫を

撫でるその手の主はもういないということ

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