毒親育ちのしあわせあつめ

こころの鎖を解き放つブログ

覚悟をきめたとき (7)

別離へ

 

これまで

 

覚悟を決めたとき - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (2) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (3) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (4) - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (5) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (6) - 今日がいちばん♪

 

 

 

そのころ、病院の方の助言のもと介護申請をしたわたしでした。

 

少しほっとしたころ、思いがけない速さで届いた

要介護4の認定通知。

 

その早急さが全てを物語っていた。

 

 

 

これでいい。

 


じぶん最優先。

 

 


2年ぶりの大好きなライブツアー。

じぶんの大好きを取り戻していく。

 

 


それでも少し経つと、たのしいのに何かが引っかかる。

 

母親。

仕事。

これから。

 

 

たのしいが増すたびに、不安も大きく。

 

停滞したままの「今」だった。

 


さちみたまフリークと化したじぶん...笑

2度目のさちみたまばんめし会のお知らせ。

迷わず申し込み。

 

 

たけさんの魔法使いセミナー

ドキドキしながら申し込み。

 

 

そして、金粉ショーに魅かれるわたし。

萌えコン塾プレセミナー。うっかり申し込み。

 


現状打破を模索をするじぶんの中のナニか。

 


動けないじぶん。変わりきれない。

責めそうになりながらも、冷静にじぶん見つめようとしていた。

 

 


どうしたらいいか、わからない。

 

表面上は充実しているのに、ドツボにはまっていく。

 

 

じぶんしごと。

ブログも何もやっていない、じぶんしごとのタネなどもっていない。

参加を決めているのは、みんなスゴいタネを持っているメンバーばかりっぽい。

 

そんなわたしが参加する意味があるのか......?

 

 

自問自答。

 

 

じぶんが整えば、、、連日の熱いメルマガw

ザワザワがとまらない。

 

 

ご相談だけでも、、、そう思い、メールを送る。

 

 

メッセージは自然とさちみたま内へ。

それは、飛び込むことを決めたと同じ。

 

 

その流れで急きょスカイプ相談。

まさかの大号泣。

 

 

スカイプ越しの二人。さちみたまの背骨。

ここでも、護られている。

そんな安堵感を感じたわたしだった。

 

 

父の残した僅かなお金があるにはある。

 

母親の入院代とこれから。

余裕なんてない。

それでも、飛びむじぶんだった。

 

お金はなんとかなる。

 

じぶんを整えて、なんとかする。

 

萌えコン初日を目前にお金を振り込んだ。

 

 

さちみたまに飛び込んでから、ここからはやいよーーと

連日、そのとおりだった日々。。

そして、そこからは自動運転はさらに光速へと。

 

 


モウ、ナニガナニヤラ......

 

これが、萌えコン初日の正直なわたしのきもち

 

 

午後、グループコンサルが進む中、

携帯へ母親の入院する病院から着信が入る。

 

 

病院より条件の合った特養が見つかったとの連絡だった。

 

 

午前中に行われたパッションテストの5つのパッションのうち

「家族と程よい距離で暮らしている」と書いたわたし。

 

 

よかった......?かなしい......?

 

 

じぶんの感情がわからないまま、

次から次へと涙があふれ続けた。

 

 


特養の入所申請は、もちろん家族。

このくらいはひとりでと教えられた場所を検索。

 

 

方向感覚皆無のじぶん。

 

ヨクワカラン、、、

 

ひとりで背負うな。このことばが浮かぶ

 

 

姉といっしょに向かうことにする。

当日、姉の運転する車が着いたのは

わたしが行こうとしていたのとは、全く違う場所だった。

 

 


わたしが調べたの、ここじゃない......

ハイッ?......と姉。

 

 

おそるおそる、受付へ。

待っている間、違ってたらどうしようと怯える二人。

滞りなく、説明を受け書類を渡された。

ここでまちがいないらしい、、

 


施設を出て、どこに行こうとしてたんだろね~~~

笑うしかない←こればっかり 笑

 

 

姉によると、わたしは無いはずの道をこう曲がって、こう曲がって、

そこを潜る。と言っていたらしい。

何度も潜ると。

 

 

そもそもそのように曲がる道は無かった。

ありえない道を行き、よくわからない場所を目指そうとしていたことに気づくわたし。

その後、二人で検索しなおすが、なぜか同じ場所が出てこない。

 

 

ナニ......コレ......

 

 

いつもどおり、さちみたまでご報告。

 

骨身にしみたでしょ......って返ってきた。

 

しみすぎですーーー(´;ω;`)

 

 

 

 

 

ライブ、萌えコン塾。仕事。

そして、さちみたまのサンクチュアリイベント。

 


じぶんが動くたびに母親の今後のことが動き出す。

その繰り返し。

 

 

特養から、入所の受け入れ準備ができたと連絡が入ったのは

大阪グルコンの直後だった。

 

 

 

今は足をとめる時ではない。と、必死でふんばる日々。

 

つかれも感じないほどに、全てがマヒしはじめていたのかもしれない。

 

 

わたしの萌え=ライブ

 

これがなかったらと思うと

萌え大事♪と声を大にして言いたいわたしです(^ ^)

 

 

11月中旬。寒い道東にも。

 

本当に小さな会場。

席は2列目♪ カミセキコと呼ばれたりww

 

幸福駅に立ち寄り、大好きの気持ちがあれば大丈夫。

そんな想いで満たされたわたし。

 

 


そして、富山のグルコン直後。

母親を特養へ移す日を迎える。

 

 


その日の関東は11月にもかかわらず雪。

 

 

迎えの車を特養の職員さんへお願いしていた。

 

病院からそのまま特養へ。

 

 

このことをわたしの口からは母親には伝えていない。

 

 

病室へ姉と向かう。

 

 

 

すでに職員さんの姿が。安堵するふたり。

職員さんと穏やかそうに談笑する母親。

拘束は外れている。

 

 

わたしたちの姿をみつけ、うれしそうな顔をみせた。

 

看護師さんに着替えをうながされる。

ムスメさんたちに手伝ってもらってね。

 

そのことばを聞き、おそらく家に帰ると思った母親。

いそいそと着替えをはじめる。

この服はイヤだったと、あいかわらず。

 


着替えを済ませ、職員さんに手を差し出された瞬間全てを悟った母親。

家に帰るんじゃないの......と、再び、わたしたちを睨み付ける。

 

 

激昂する母親。

 

 

落ち着いてと懇願するわたしと姉を強引に突き飛ばす。

掴んだ手を離せと、大きな力で振りほどく母親。

 

 

ああ・・・・・・

予想通りだ。

 

 

こうして、ふたたび修羅場を迎えることなったのでした。

 

 

 

 

つぎで終わらせたい。いや、終わるのか?

つぶやきながら今日はここまで♪

今日も、お読みいただき誠にありがとうございました m(_ _)m

 

 

 

覚悟を決めたとき (6)

 

自動運転の行き先は自分次第

 

これまで

 

 

覚悟を決めたとき - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (2) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (3) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (4) - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (5) - 今日がいちばん♪

 

 

一週間後に面会に行ったわたしでしたが、

そこで車椅子に拘束されながら母の威厳を見せる姿に

心が折れ、いたたまれず早々に病院を後に。

 

 

 

それから「さちみたま」の対面セッションまでの

数週間は、役所関係の手続きなどで右往左往。

 

 

着替えも何もかも病院におまかせ。

 

いいのだろうか......

いや、これでいい……

 

自問自答。

 

 

 

 

セッションが近くなるにつれ不安も増す。

 

こわくない。大丈夫。

でもこわい。。

 

相変わらず臆病なじぶん。

 

 

 

 

大好きなミュージシャンのライブに行ったのは

セッション1週間前のこと。

 

 


その日は野外。空は晴天。

 

久しぶりに会う友人たち。

 

母親のことを聞かれる。

どんな反応をされるか怖かった。

 

気の毒だなんて思われたくない。

同情なんてされたくない。

 

プライドの高いじぶんが顔を出す。

 

でも、友人たちは、そっかぁ…と黙って寄り添ってくれた。 

 

 

 

開場近くなり、席を確認。

じぶんのチケットをみると、まさかの2列目!!(@_@)

 

イヤイヤ、座るまで信用できん…

 疑い深すぎだろ、、じぶんwww

 

 


まるで、

大丈夫。これでいい。

 

そう言われた気がした。

 

 

 

 

いよいよ、セッション当日。

ちょっと早めに着いたのに、改札間違えてアタフタ。

早足でその場所へ。

 

 


部屋に招かれたときに目に映った4人の姿は

とても大きかったことだけはしっかり覚えている。

 

 

じぶんを守ることを知らない。

 

 

頑ななわたしのいろいろを解き放つ

じぶんを取り戻すための3時間あまり。

 

 

どれほどの涙を流したかわからない。

笑いもいっぱい。

泣き笑いの連続で、帰るころには再び笑顔のわたし。

 

 

 

 

何があっても大丈夫。

帰りの電車は、間違いなくそんな気持ちだった。

 

 

 

それなのに、、

 

 

親を捨ててもいい......

 

じぶん最優先でいい......

 

 

そのことを本当の意味で腹に落とすことに

どれほどの抵抗をしたかわからない。

 

 

母親を他人に任せる罪悪感

病院代

退院後

 

これから先のまだきていない、みえない不安に押しつぶされるわたし。

過去のことを引っ張り出しては自分責めを続ける日々。

 

 


後戻りはしない。

 

 

そう思っても、後ろを振り向き

そちらを懐かしく思うじぶん。

どんどん、自らを追い込みじぶんを見失っていく。

 

 

ある日のまみさんからのはじめての厳しいことば。

ようやく冷静さを取り戻した。

 

涙が止まらなかった、さちみたまのばんめし会。

 

4人に、いや、みんなに見護られながら、ゆっくりと、じぶんを取り戻す日々。

 

二泊三日で札幌に行き、たのしむ気持ちを思い出せたのはこの頃だった。

 

 

 

気が重かった、母親不在のお盆。

 

古い慣習が残る我が家。

それも、全て終わりに。

 

墓守娘。ひとつ荷物を降ろす。

 

 


助けてもらいながも、連日、泣いているじぶんがイヤになったりもした。

 


わたしをかまって欲しい。

わたしをわかって欲しい。

わたしを愛して欲しい。

 


まるで幼い子どもの反抗期。

じぶんをもてあますわたし。

 

 

こんな駄々っ子のわたしを、さちみたまという"ゆりかご"は、

 

大丈夫だよ。

 

そう見護りながら寄り添ってくれていたんだと。

今ようやく、わかるようになれた。

 

 

 

 

相変わらず入院したままの母親。

面会に行くことが出来ずにいたころ、病院から今後のことについての

相談のために来て欲しいとの連絡が入る。

 

 

母親と顔を会わすことがこわい事を正直に伝え、医師とだけの面談。

 

 

そこで、退院後は施設へ......

 

じぶんの意思を伝えた。

 

家での生活はむずかしいとの医師からのことばが

わたしの気持ちを軽くしてくれた。

 

 

一度、様子をみるようにうながされ母親と面会したわたしたち。

 

重い腰を上げ、会いにいくとまだ車椅子に拘束されている母親の姿。

 

 

何しにきたの?

怒っているのも当然だ、、、

 

きっ、とにらみつける母親に何も言うこと出来ないわたしたち。

 

甘える声でウチに帰りたいと訴える母親。

震えながら、もういっしょには暮らせないことを告げた。

 

 

はじめて母を拒んだ瞬間。

 

 

もういいと怒りを露わにする母親。

興奮した母親を看護師さんが病室に連れ戻す。

 

 

看護師さんたちには、ききわけの良い、いいひと。

と、聞かされた。

 

 

ああ、この姿だ。

外面がとても良く、やさしいおかあさんね。と評される母親。

でも、やさしい顔が見れたのは家族以外の誰かがいるときだけ。

 

 

じぶんの意に沿わないことがあると、よく怒られた。

殴られもした。

 

 

どちらが本当の母親なのかわからない。

 

 

涙をこらえることが出来ずにいたわたしたちを見た医師は

わたしたちのために顔をあわさないほうが良いという判断を。

 

 

ぼろぼろですな~~~と、姉と笑った。

ふたりとも泣き笑いするしかなかった。

 

 

第三者の目から見てもいっしょにいないことが最適。

 

 

むなしい…それでも

これが真実。

 

 

 

ことが動くたびにさちみたまのメッセージでご報告するわたし。

4人それぞれ、絶妙なタイミングでサポートが入る。

 

 

護られてるからね。大丈夫だよ。安心してね。

 

そう、世界がやさしくなっていく。

 

 


それでも、どこかスッキリとなりきれない。

そんなじぶんに苛立ちを感じはじめたりも。

 

停滞感を再び感じはじめるわたし。

 

 


ぼんやりと、

あのセッションの日。

終わり間際に、まみさんが言ったことばを思い出す。

 

 

 

うん、今日はここまで。

この先は次だね♪(ニコッ)

 

 

 

ヤッパリ、、、 デスヨネ~~~

 


はい、正直に言います。

違うこの先があるかも、、そうやって逃げようとしてましたっっっ

 


気づけば、この先へ向かう準備が

ゆっくりゆっくり、進んでいたのです。

 

 

もうしばらく、おつきあいいただけると幸いです♪

今日も、お読みいただきありがとうございました m(_ _)m

 

覚悟をきめたとき (5)

 
 自動運転

 

 

これまで

 

覚悟を決めたとき - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (2) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (3) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (4) - 今日がいちばん♪

 

 

 

ある日、まみさん同行にて、とある新年会にうっかり参加したわたしでした。

 

そこで、ちくさん(竹庵顕さん)

後のさちみたまの「ち」。となるお方に出会うことに。

 

奇跡の出会い。みっつ目。

 

 

3月後半に2度目となるスゴいトコセッションを決めたわたし。

それが近くなってきたころ、再び母親が目が見えないと言い出す。

 

今度は、前回と逆の目。

 

 

急遽、病院へ連れて行くことに。

 

 

今回も視神経の萎縮。

前回のように回復する見込みもない状態と診断される。

 

またもや、

  「前効き」よね~~~

        と、力なく笑うしかない。

 

 

姉に様子を見てもらえるようにお願いし、大阪へ。

 

 

この日のセッションは、ひたすらおしゃべりしていた気がする。

わかりやすいっっとやじるし屋さん。

 

 

 

ころはお彼岸。

グッタリと動けない日を過ごした一日があったわたし。

その日、母親の目に異常が起きたようだった。

 

またもや、もろもろを無意識のわたしは引き受けたらしい……orz

 

 

 

ただ、ひたすら " 結界 " をつくれと、とにかくじぶんを守れと。

何度となくこう繰り返すやじるし屋さん。

 

 

 

「さちみたま」が生まれるころのことでもありました。

 

 

この頃の母親は、わたしが家にいるときは完全に離れようとしなくなっていた。

姉夫婦が協力してくれるものの、母親のわたしに対する執着の異常さが増していく。

 

再びじぶんの時間が失われていく恐怖。

 

 

 

母親のこと、家のこと、いろいろなものを背負い過ぎ。

それはわかっているのに手放そうとしない。

 

いつまでも、いつまでも同じところをぐるぐる。

 

そんなじぶんへの腹立たしさも増していく。

 

 

 

そんな中、まみさん主催のとある晩めし会に参加。

 

そこで、魔法使いのたけさん(竹本やすのりさん)と出会う。

さちみたまの「た」。

 

奇跡の出会い。よっつ目。

 

 

 

臆病で人見知り。

じぶんを出すことを極端に怯えていた。

 

 

やじるし屋さんがどれほどスゴくて、おもしろい場だよー

そう言っても、この出会いの流れがなければ飛び込めなかったかもしれない。

 

わたしにとって、この「さちみたま」へとつながる出会いは

 奇跡の中の奇跡 

 

 

それでも、やっぱり悩む。

 

モンモンする日を繰り返しながら、

 

 

えいっっ!!

「さちみたま」へ飛び込むわたし。

 

 

何が起きてもなんとかなる、、、

 

そう決めてからは、自動運転ワープの連続。

 

 

 

連日全身の激痛に襲われる日々。

右手首が原因不明で腫れ上がったりも。

 

頼ることが出来ないじぶんを痛感。

あらゆるところで支援してもらいながら

仕事、母親のことをこなすわたし。

 

 

 

 

 

もうムリ、、

そう思いはじめたころ、まるで強制終了をかけられたかのようなできごとが。

 

 

 

 

その日、疲れていて朝起きることが出来なかったわたし。

朝食の用意がないことにイラつく母親。

目が見えないといいつつ階段を昇りわたしの部屋へ。

急いで用意をしたものの、気に入らなかったのか無言で床に叩きつけられる。

 

割れる食器。

 

 

そこからは、文字通り修羅場。

 

 

 

包丁を持ち出し、わたしに刃を向ける母親の姿。

ケンカになると、たびたびあることではあったけど。

 

その日の目は違った。

 

殺意を感じたわたしには、刺せるものなら……とは言えなかった。

 

仕事へ向かう途中の姉に連絡を入れる。

 

 

「お母さんがおかしい…」

「包丁を持ち出してくる...」

 

 

泣きながらそう訴えると「わかった」と急いで駆けつけ

まず、わたしの姿を確認する姉。

 

時間をかけ暴れる母親をなだめ、そのまま診療内科へ。

 

極度の興奮とうつ状態。そして軽い認知症

 

半強制的なカタチでの入院。

母親はベッドへの拘束措置が取られた。

 

 

暴れる母親をお願いし病院を後に。

 

すると、わたしが生きていて良かったと姉が泣いた。

 

そうして、、

 

母親が赤ん坊だったわたしの首を締める姿を見たこと。

当時小学校低学年だった姉が、必死に母親の手を引き剥がしたことを。

叱られた幼いわたしが母親に連れられて行くのを見かけ探しても見つけられなかったことを。

誰にも言えなかったと。

 

 

大粒の涙を流す姉から教えられた。

 

 

それを聞いたわたしに、不思議とショックは無かった。

 

あぁ、やっぱりそうだったんだ……

 

 

ただ、むなしさのようなものだけが残った。

 

 

 

つかれた……

 

 

 

が、しかし、

 

 

「さちみたま」の前効きは、ただ泣かせてくれるものではなかった……

 

 

入院する前日に何ヶ月ぶりかで母親が

じぶんから入浴すると騒いだためお風呂に入れていた。

 

 

そして、入院の翌日

そのお風呂がぶっ壊れたっ( ;∀;)!

(当日じゃなくて良かった…)

 

 

いつになっても「お風呂が沸きました♪」の合図の声が聞こえない。

様子を見に行くと、湯船から湧き上がってくるお湯。イヤ、水。

 

 

くる~きっとくる~~~♪

 

 

軽く現実逃避しながら、その日は自力で水を止めることができた。

 

急いで来てもらったメンテ業者。

大量の水を出しながらも、ウチでは無理なのでメーカーを呼びますね。ナン…ダト......?

 

 

メーカーとケンカしながらなんとか翌日の修理の手配をし、

逃げるように帰るメンテ業者。

 

 

バカー!バカーー!!バカーーー!!!

 

水道代どうしてくれるのさ…(´; ω ;`) 

 

 

 

お風呂大好き♪ 

 

 

なのに、、、

 

 

ナニコレ......

 

 

 

覚悟はしたけど、覚悟はしたけど、、

 

 

こんなのヤダーーーっっ!!!

 

 

まみさんに泣きついたら、わかりやすいって返ってきた…(´; ω ;`) 

 

 

 

自動運転…

 

早ぇーーーって。

 

 

血の涙を流しながら、そう思うわたしなのでした。 

 

 

やっと、ここまでまいりました。

今日も、お読み頂き誠にありがとうございました m(_ _)m

 

覚悟を決めたとき (4)

 
無自覚の覚悟

 

 

これまで

 

覚悟を決めたとき - 今日がいちばん♪

覚悟をきめたとき (2) - 今日がいちばん♪

覚悟を決めたとき (3) - 今日がいちばん♪

 

 

 

停滞感を感じ始めていたころ、東京にてやじるし屋さんの

対面セッションを受ける機会に恵まれました。

 

 


動けずにいたわたしは、まずは仕事のご相談。

 


つかれてるしねー

今はぬるま湯に浸かっていたいみたいよ(やじるし屋さん、ニンマリ)

イイんじゃね♪と。

 

 

このときに頂いたメモには

「パトラッシュ。僕もう、つかれたよ……」と書き記されている。

 

 

そう言えば、最近どこかで似たようなフレーズを見たような(笑)

 

 


物心つく前に利き手を矯正されているわたしは、

これがまだ引っかかっていることを伝える。

 

 

うん、当たり…とやじるし屋さん。

 


そこからふたたび、テーマはそちらに向かっていくことに。

 

 

左手を頑なに封印しているわたし。

ムリに開けるのはキケンとの判断をするやじるし屋さん。

どうしたい?との問いかけに

 

「じぶんで開ける」と伝えたわたし。

 


あっ……?!

そっか…そうだった……このときすでに決めてたんだ。

 

 

だって、やじるし屋さんにウソつけないもん。

気づくの遅ーーーっっ ( ;∀;)

 

 


スピ系とカテゴライズされるいろいろについては「在る」と思っているわたし。
けれどカタチとして証明するのはむずかしい。

だからこそ真実を知りたい気持ちが強かったりもする。

ふわふわ~のスピ系は理解不能。

 


なのに、その後、いわゆるスピ系と感じられるもの全てに

嫌悪感を持ちはじめるじぶんを持て余す。

サイキックカウンセラーのやじるし屋さんに、

じぶんのやじるしを治してもらいながらも。

 

この矛盾がまたじぶんを責める…

 

 

そんなわたしは現在、萌えコン仲間、朱美さん(ぐっちゃん)の

ブログが大好物です (^ ^)

 

ikinarinurikabe.hatenablog.com

 

 

 


わたしが調うのと相反して母親からの干渉が激しくなり、

ぶつかるときが増えていく。

折れるのはいつもじぶん。

 

 


そんなある日、何かのきっかけで口論となり、こんなことを聞かされたのです。

 

 

それは、わたしが3歳くらいのころ。


突然「何故わたしを産んだの…?」と問いかけるわたしに

「欲しかったから」と答える母親に対して、「じゃあ許す」と言ったと聞かされる。


母親から、それがとてもショックだったと訴えられた。

 

 

衝撃を受けたのはわたし自身、、、

 


3歳の幼いわたしは何を許したのだろう…わからない。
ただ、どうしようもなく苦しい。とても苦しくてしんどい……

 

 


そのころ、やじるし屋さん主催の「スゴいトコ」(現在、募集は終了してます)

が走り出していた。

 


どうしよう…と、決めかねていたわたし。

 


「スゴいトコ」に入る=じぶんの中の「ナニか」と

向き合うことになるのはわかっていたから。

 

 

 

このままモヤモヤしていてもなー

 

 

 

えいっっっ!!!と、「スゴいトコ」に飛び込む。

 


ほぼ同時に派遣での仕事が決まる。

 


その頃、東京でイージーアップランチ会のお知らせが。

希望日を出したのはじぶんだった。

そこで、後に「さちみたま」へのご縁につながる

さなさん(山藤紗名英さん)と初対面。

 


ランチ会ではほとんど会話ナシ←人見知り炸裂

さなさんが、募集が締め切られたところに入れてもらったのー♪と

うれしそうに言っていたことだけ覚えている。

 

奇跡の出会い。ふたつ目。

 

 


少しだけ落ち着いた日常の中、やっと1回目の「スゴいトコセッション」を

受けたのがちょうど一年前。

 


前日に大阪へ。
ホテルでテレビをつけると関東大雪と言っている。

はいっっ…?

天気予報ノーチェックだったことにここで気づく。

 


やじるし屋さんは、そのとき東京に。

 


果たしてやじるし屋さんは無事に戻ってこれるのでしょうか???

まぁ、会えなくてもネタになるよねーと、お気楽なわたし。

 

 


あの部屋へ再び。


インターホン押すと、ほっとするあの声。


戻ってくるのタイヘンだったわーーーと、笑っていた。

ネタになるより会えて良かった(^ ^)

 


その日は、座ったままヒプノ3本勝負。

 


もう今日はこれくらいにしとこう、、、

どこまで遡るかわからん、と、やじるし屋さんグッタリ。

わたしもグッタリ。

 


そもそも、ヒプノといものがなんなのかよくわかっておらず

やじるし屋さんのFBでヒプノセラピーだったことを知るわたし。

 


スゴいことはなんとなくわかった。

おぉ・・・やじるし屋さんスゲーーー!!!

って、どこかひとごと。

 


大阪に雪はナシ。

交通機関マヒしてるっぽいけど、大丈夫かなと思いながら東京に戻ると平常運転。

雪もだいぶ解けて無事に帰宅。

完全に雪を回避。

 

 


どれだけ護られてるのーーと、笑うやじるし屋さん。

 

護られてるからね。大丈夫だよ。安心してね。

 

やじるし屋さんがやさしくかけてくれるこの呪文。

 

 


きっと、やじるし屋さんの下を訪れる多くの人がかけてもらえるこの呪文。

ただ、じぶんには三割増な気がしている。

 

 

なぜなら、わたしにとってこの世界には「安心してもいい」そんな場所があることを知らなかったから。

 

 

「大丈夫だよ…安心してね…」

 

この呪文をかけてもらう度に、奥深くから何かが浄化されていくわたしなのです。

 

 

もう、なにも言いません。

今日も、お読みくださり誠にありがとうございました m(_ _)m

 

 

 

 

 

覚悟を決めたとき (3)

 

覚悟が決められない

 

 

やさしさに満ちあふれた5時間は

あっという間に過ぎました。

 

訪れたときとは別人のわたし。

 

 

名残惜しくて別れを告げるとき、抱きつきたくなる衝動をおさえながらやじるし屋さんを後に。

 

 

涙が溢れて止まらない帰りの新幹線。

 

 


自宅に着いたのは夜遅く。
わたしの帰宅を待ちかまえていた母親の姿。

 

 


荷物を降ろすわたしに、

母親から「どうだった?」の問いかけ。

 

カウンセリングを受けに行くことは伝えていた。

 


「この家の人たちは酷いことをし過ぎたね」と答えるわたし。

 


すると、ナニかを悟った様子で「やっぱり…」とつぶやく母親。

 

 


「やっぱり…って???」

 

 

 

母親「アンタが小学生のころ登校拒否したことあったでしょ?
アンタにそのときお祓い受けてるんだよ。それで学校行くようになったんだから

          (ハイ…?と心の声を抑えるわたし)

でもね、数十年経ったら効果が切れて、また同じようなことが起こるかもしれないって言われてたから…」

 

衝撃の告白を聞かされる。

 


「ナニソレ……??イミワカンナインデスケド…」

 

 

確かに小3の頃、学校行かない?行けない?時期があった。

 


母親いわく、どこぞのカウンセラーさんに相談したところ

ナゼかお祓いを勧められたらしい。

 

 

ぼんやりと母親と肩を並べ見知らぬ男の人と向きあっていた記憶が。

その後、なにごともなかったかのように登校しはじめた気がする。

 


小3のいつだったかを境に違うじぶんになったような感じがあったわたし。


奥深くのじぶんがすり替わってしまったような不可思議な感覚。

 

 

いじめもあった。


でも、それが原因での登校拒否ではなかったことだけは、じぶんの中ではっきりしている。

 

 

「ああ、そうだったんだ・・・」

 

 

妙に納得するわたし。

 その後、その「過去」により、じぶんを持て余すことに、、

 

 

とにかく、もう、全て終わり。

それでいい。

 

 

寝込むこと丸二日。
寝室を戻すこともできた。

 


体調も戻り、やじるし屋さんにアドバイスを受けたお香を購入。

 

 


いろいろ落ち着く方向に向かうかと思われた、その数日後。

 
母親から目が見えないと訴えられる。

 


診断は視神経の萎縮。失明寸前の状態。

発症して直ぐではないため回復は難しいとも。

点滴のため、一週間通うように指示され、連日の通院。

 

 

 

「後効き」きたーーー!!!!

      と、今は苦笑いならできる。

 


後効き=本当に変わっても大丈夫かと、どこかから与えられる卒業試験のようなもの

 

 

問診中、いつから見えなくなったか聞かれた母親は、わたしがお香を購入したころの時間を医師に伝えた。

 

 

イヤイヤ、偶然ですよね~~~??

 

 


目をマッサージすると違うから、ムスメさんがやってあげてくださいね。

そういわれ、マッサージを続けること一週間。

奇跡的に生活への支障がないほどまでには回復。

 

 

「ヒーラーが欲しがる目だよ」

 

ふと、このことばが脳裏をよぎる。

 

 

フォローアップセッションでは仕事のことなどを相談するつもりでいたわたし。

 

 が、しかし、

 


あぁーー、ネタはこっちだなぁとぼんやり。

 


再びセッション当日。

今度はスカイプ。こわくなかった♪

 


イージーアップコミュに参加させてもらっていたおかげで、事の成り行きは全てご承知のやじるし屋さん。

 

 

 

本来の流れになっただけでしょう。


いっしょの寝室にいたことにより、いろいろとわたしが無意識に引き受けていたと。

 

 

えーーと、、あぁーと、そういうことですか、、、


納得しつつ、強烈にじぶんの中のナニかが抵抗をはじめる。

 

 


ダダ漏れですからっっっ(^ ^)
こっちにくると楽しいよー♪
あきらめろーーーwww
byまみさん

 

 

これ以降、何度となく繰り返し言われる。

 

その度に、

 

ダダモレッテナニガ???
コッチッテドッチ???
ワッカンネーッテ……

 


もう知らん…って、投げ出されてもおかしくないほどに、駄々をこねまくるわたし。

 

そして、じぶんの抵抗とは裏腹に ナニコレ…? という出来事が増えていくのでした。

 

 

さらに長くなり、着地点が見えないまま続きます。

 本日も、お読みいただき誠にありがとうございましたm(_ _)m

 

 

覚悟をきめたとき (2)

 

覚悟をきめたさき

 

やじるし屋さんに訪れるまで

半年ほどの時間を要したわたし。

 

 

覚悟を決めたものの

 

どうしよう…と、モンモンとする日々。

 

 

その頃やじるし屋さんが行っていたのが、

電話orスカイプで10分無料相談。

 

 

こわいひとだったらどうしよう……(笑)

 

 

体験談を読むだけでもハンパなさそうだなー

もしかしたら、無料相談だけでも

解決の糸口がみえるかもなー。←逃げるいい訳

 

 

でも、こわい。。。

得体の知れない恐怖感。

 

 

 

臆病で人見知りなじぶん大炸裂。

 

 

 

意を決して申し込む。

スカイプこわい。。電話を選択…笑

 

 

 

電話の向こうから心地よい声。

おずおずと困りごとを伝えると瞬く間に

ストレスの原因をひっぱり出すやじるし屋さん。

 

 

そこで呼吸法を伝授してもらい、一緒にスーハー

あっという間の10分。

 

 

残りの回数は.....たしか1500か1600回位。イヤ、もっと?

 

挫けるわたし……orz

 

 

 

そうだ大阪へ行こう。。

 

 

そう決めたときからセッション当日まで恐怖感と共に

首を締め付けられる感覚に襲われる一週間。

 

 

 

 

「前効き」  キターーー!!!

       

            と、今なら言える。

 

 

前効き=セッション前の下ごしらえとしてその時のネタがあらゆるカタチであぶりだされること

 

 

 

前日の大阪へ向かうのぞみの中でも

得体の知れない恐怖感は大きくなる一方。

 

 

ことだま集をつぶやき、恐怖感を感じるじぶんを認めるのが精いっぱい。

 

 

当日、やじるし屋さん宅へ向かうバスの中で

溢れそうな涙を必死にこらえる。

 

 

逃げ出したい、いや、消えたい。

 

 

バスを降り、逃げ出したい気持ちで

マンションのインターホンを押す。

 

あの声だ、、、

 

 

うながされるままエレベーターに乗り

指定された階でおりる。

 

 

不安いっぱいで横を見るとドアを開け放ち

待っててくれたやじるし屋さん。

 

 

あの笑顔に迎えられたこの瞬間を

未だに表現することばがみつからない。

 

 

 

お部屋に招かれるなり緊張の糸がほぐれたのか、

涙が止まらないわたし。ここがわたしの泣きキャラの原点?

 

 

 

 

黙って見守ってくれるやじるし屋さん。

 

 

ウソのない空間に安堵感いっぱいだった。

 

 

 

 

そこから、まさかの 

5時間浄霊まつり \( ˙▿︎˙ )/

 

 

↓こちらがそのときのわたし

ameblo.jp                    special thanks to まみさん

 

 

記憶にあるのは残念ながらごくわずか。

じぶんの記憶力のなさがうらめしい…(´; ω ;`)

 

 

 

信じられないですよね〜〜

じぶんだって信じられなかったもん。

でも、全てノンフィクションでございます。

 

 

 

そして、笑顔を取り戻したわたしの目を見て、

やじるし屋さんはこう言いました。

 

 

「ヒーラーが欲しがる目だよ」

 

 

アハって笑いながらも、グサッと刺さったわたし。

 

 

 

「ナ二、ソレ…???」

 

「ナンナンスカ…???」

 

「ヨクワカンナイ…ッテカ、コワインデスケド……」

 

 

 

母親との関係を見直して、じぶんを取り戻す。

そんな覚悟で訪れたはずが、想定外のやじるしを示され

ジタバタする日々が始まったのです。

 

 

こわい、こわいとつぶやきながら、まだしばらく続きます。

お読みいただき誠にありがとうございましたm(_ _)m

 

 

 

 

覚悟を決めたとき

 「今」のじぶんを語る上で、

やじるし屋のまみさん(現在、軽く冬眠中…)

とのご縁は外せないものとなりました。

 

 

 

 

わたしがじぶんと向き合うようになったのは

脳梗塞で倒れた母親に不安だと頼まれて

寝室を共にするようになってから。

 

 

落ち着いたら自室に戻るつもりでいたわたし。

 

 

が、ある日仕事から帰宅すると母親の寝室に

じぶんのベッドがある・・・

 

笑顔で「お姉ちゃんたちに持ってきてもらったの〜〜♪」とのたまう母親。

 

いや、強引に持ってこさせたんですよね……?

 

 

何を言ってもムダ、、、

 

 

 

ボー然としながら、最後の「その時」まで

逃れるのはあきらめようと決めたわたし。

 

 

でも……

 

 

 

いっしょの部屋に寝る。

 


それだけのことがナゼか苦痛で仕方ない。

 

 

 

どんどん眠れずに心も体も壊れていく。

何も考えられず、力尽きたかのように仕事を辞めた。

 

 

 

それまで

ライブさえあれば〜♡♡♡」

と、どこかお気楽だったわたしがそれすらも

たのしいと思うことが出来なくなりそうな恐怖感。

 

 

寝室を元に戻そうとすると拗ねて

泣きそうになる母親。

 

 

母親に対して、どんどん優しくなくなるわたし。

 

 

離れるのがお互いのため。

 

 

そう思うのに出来ないじぶん。

じぶんを責めるの負のスパイラル。。

 

 

ある日、立ち寄った本屋さんで「毒親」という文字が目にとまる。

 

 

そのときから直視することから逃げていた、

じぶんと母親の関係を掘り下げていくことに。

 

 

カウンセリングや

毒親育ちのお話会などに参加してみたり。

 

 

AC専門のセラピストさんの下を訪ね、多少の効果はあるものの…

 

 

 

 

それでも

 

 

「寝室を分ける」

 

 

たったそれだけのことが出来ない。

 

 

 

じぶんをどんなきもちに保てばよいのかと

ネットで介護関係のブログなどを読みあさる日々。

 

 

 

もがけばもがくほど動かなくなる体。

 

 

このまま命を持っていかれるかもしれない。

 

 

まあ、それもしかたないかな…

そんな、あきらめもどこかに。

(ここまで追い込まれた理由を知ることになるのはまだ先のこと…)

 

 

もうムリかも……

 

 

 

が、しかし、

私には大事な(ФωФ)さま お世話がある。

 

(ФωФ)さまを置いていくことだけは、、、(´; ω ;`)

 

 

 困った……

 

 

 

そうして、ずっと「遠い」を理由に躊躇っていた、やじるし屋さんに会いにいく覚悟を決めたのでした。

 

 

 

それが、じぶんの「能力」と

向き合うことにつながるとも知らずに…

 

 

                                     長くなったので続きます、、